2017.12.17

私がどうして医師を志したか その2

前回は私の生い立ちと、医師になるまでの話を書きました。今回はその続きです。

大学時代に私はサッカー部に入りましたが、早々に右膝を痛めてしまい、結局卒業するまでそのケガを引きずりレギュラーになることはできませんでした。途中何度か退部しようかと考えましたが、途中で物事を投げ出すのが嫌な性格のほうが勝り、卒業まで頑張りました。結果的には現在もサッカー部に所属していたことで様々な付き合いも続いており、続けてよかったと思っています。

さて医師になり、大学病院での研修が始まりました。目の回る忙しさで病棟を走り回っていた時のことです。廊下で急に向きを変えたときに右膝に激痛が走りました。医局で何人もの先生に診て頂き、その内の一人に半月板が損傷していることを初めて指摘されました。手術を受け、その後は学生時代よりもサッカーが思い切りできるようになり、数年前まで楽しむことができました。

結局それまで何人もの先生が私の膝について、悪くいえば誤診していたわけであり、私はショックを受けました。もう25年も前の話ですので今と違って検査の方法も限られており、それは仕方がないのかなと思うのですが、診断をつけてくれた先生は診察だけで診断を下されており、その先生に追いつくことが私の目標になりました。また私を数年間にわたって苦しめ続けた膝の怪我で、同じように苦しんでいる人を助けたいという気持ちから、膝関節の研究を深めたいと思うようになりました。

その後大学院に進み、それなりの研究結果をだして一区切りついたところで教授から城山病院へ行くようにいわれ、赴任しました。ご存知のとおり城山病院は救急車がばんばんやってくる忙しい病院であり、骨折や脱臼、交通事故などの怪我をひたすら治療する日々が続きました。膝であれなんであれ、受け持った患者さんが良くなって行くのをサポートするのはやりがいがありましたが、次々運ばれてくる患者さんを受け入れるためにはある程度治療の終わった人にベッドを空けてもらわなければならないという事情もあり、自分が受け持った患者さんを最後まで診られないという葛藤を感じるようになりました。また退院後の治療先を探してもリハビリのできる適切な所がない、というのもあり、それならいっそのこと生まれ育った富田林で、退院されてきた方を受け入れる側になろうと考え、10年前にここで開業しました。

開業はしたものの、理想と現実のギャップは大きく、まだ自分がやりたいことはたくさんあります。また自分自身もまだまだ人間ができておらず、反省することも多々あります。それでもここに来られた方が少しでも笑顔になれるように努力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。