2017.12.17

生活習慣病と骨折のリスク

当たり前ですが、骨折はある日突然起こります。その原因は基本的に外傷によって起こるわけであり、完全に予防することはできないのですが、起きやすさには個人差があります。いわゆる骨粗しょう症の人は骨折を起こしやすいのは当然ですが、それ以外にも色々なことが骨折を起こしやすくする原因になっていることがわかってきています。

日本骨粗しょう症学会の報告によれば、糖尿病や動脈硬化のある人、いわゆるメタボの人はたとえ骨密度がよくても、骨折を起こすリスクが高いとのことです。実は骨密度は骨の量しかみていません。骨の強さは骨の量(カルシウム)と骨の質(コラーゲン)によって決まります。鉄筋コンクリートに例えれば骨の量、すなわちカルシウムの量はセメントの量となり、骨の質、すなわちコラーゲンは中の鉄筋ということになります。メタボの人はカルシウムの量が足りていても、このコラーゲンが劣化してしまい、折れやすくなるということが最近わかってきました。この場合、いくら外からカルシウムやコラーゲンを補給しても効果はなく、糖尿病や動脈硬化の原因となる生活習慣を改めて、体全体のコンディションをよくしないと改善できません。骨はカルシウムをとっていれば大丈夫というわけにはいかないのです。

普段生活している中で骨折なんて考えもしないことだと思いますが、起こしてしまえば痛いし、動けないし、入院手術となるかもしれないし、リハビリもつらくなるし、最悪寝たきりになる可能性もある、怖いことのひとつなのです。ましてや糖尿病や動脈硬化があれば骨の治りも悪くなりますし、手術に伴うリスクも高くなります。また骨折は、寝たきりになる原因の第3位と多く、骨折を起こした人はそうでない人に比べて死亡率が2倍から3倍にも上がるというデータも報告されています。

医学の進歩はとどまることはなく、最近ではいい骨を作るための体の中のサイクルをよくする注射薬が登場して来ました。これを使えばカルシウムのみならずコラーゲンの状態もよくすることができ、強い鉄筋コンクリートを体の中に作ることができる可能性があります。詳しく聞きたい方はお気軽に診察時に申し出てもらえればと思います。

2017.12.17

私がどうして医師を志したか その2

前回は私の生い立ちと、医師になるまでの話を書きました。今回はその続きです。

大学時代に私はサッカー部に入りましたが、早々に右膝を痛めてしまい、結局卒業するまでそのケガを引きずりレギュラーになることはできませんでした。途中何度か退部しようかと考えましたが、途中で物事を投げ出すのが嫌な性格のほうが勝り、卒業まで頑張りました。結果的には現在もサッカー部に所属していたことで様々な付き合いも続いており、続けてよかったと思っています。

さて医師になり、大学病院での研修が始まりました。目の回る忙しさで病棟を走り回っていた時のことです。廊下で急に向きを変えたときに右膝に激痛が走りました。医局で何人もの先生に診て頂き、その内の一人に半月板が損傷していることを初めて指摘されました。手術を受け、その後は学生時代よりもサッカーが思い切りできるようになり、数年前まで楽しむことができました。

結局それまで何人もの先生が私の膝について、悪くいえば誤診していたわけであり、私はショックを受けました。もう25年も前の話ですので今と違って検査の方法も限られており、それは仕方がないのかなと思うのですが、診断をつけてくれた先生は診察だけで診断を下されており、その先生に追いつくことが私の目標になりました。また私を数年間にわたって苦しめ続けた膝の怪我で、同じように苦しんでいる人を助けたいという気持ちから、膝関節の研究を深めたいと思うようになりました。

その後大学院に進み、それなりの研究結果をだして一区切りついたところで教授から城山病院へ行くようにいわれ、赴任しました。ご存知のとおり城山病院は救急車がばんばんやってくる忙しい病院であり、骨折や脱臼、交通事故などの怪我をひたすら治療する日々が続きました。膝であれなんであれ、受け持った患者さんが良くなって行くのをサポートするのはやりがいがありましたが、次々運ばれてくる患者さんを受け入れるためにはある程度治療の終わった人にベッドを空けてもらわなければならないという事情もあり、自分が受け持った患者さんを最後まで診られないという葛藤を感じるようになりました。また退院後の治療先を探してもリハビリのできる適切な所がない、というのもあり、それならいっそのこと生まれ育った富田林で、退院されてきた方を受け入れる側になろうと考え、10年前にここで開業しました。

開業はしたものの、理想と現実のギャップは大きく、まだ自分がやりたいことはたくさんあります。また自分自身もまだまだ人間ができておらず、反省することも多々あります。それでもここに来られた方が少しでも笑顔になれるように努力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

2017.12.17

私がどうして医師を志したか その1

4年ほど前にめがねを十数年ぶりに買いかえました。それまでのめがねはまだ使えたのですが、強度の近視のため、就寝中に地震がきてめがねが吹っ飛んでなくなったら生活できなくなるので非常時の袋に予備のめがねを入れておこうと考えたからです。なんでもそうですが、十数年前とくらべてレンズもよくなって、しかも安い。すごいなあと思います。

デザインが少しシャープになったので、きつい感じに見えるかな、ってスタッフに聞いたら、元々怖がられているから一緒じゃあないですか、といわれてしまいました。確かに忙しくなると(なくても?)顔が怖くなっているだろうことは否定できません。そこで皆さんに少しでも親しみをもってもらうべく、私自身のことについて思いつくままにカミングアウトしてみようと思います。

私は天王寺の病院で産まれました。未熟児で、一時生死の境をさまよい、治療の副作用で失明するかもしれないので覚悟しておいてくださいと主治医の先生からはいわれていたそうです。しかし先生の懸命な治療のおかげで無事育つことができ、今となっては治療を受け持つ立場となることができました。子供の頃に母からその話を聞き、先生に感謝するとともに憧れも抱き、それが医師の道を志すきっかけの一つになったと思います。

幼稚園に入るまでは柏原の安堂で暮らしました。裏のぶどう畑で遊ばせてもらい、よくぶどうを頂いたことを覚えています。近くに大和川が流れていて、母によく散歩に連れて行ってもらいました。近鉄道明寺線とJRの鉄橋があり、そこで必ず電車とデゴイチをみるのが日課だったそうです。以後現在も鉄道に対する愛は変わりません。

幼稚園に入る頃に富田林市へ引っ越しました。いわゆる金剛地区の方です。まだ開発が始まったばかりの頃で、周りには野山や空地が拡がり、小学校の時は結構泥だらけになって遊んでいました。空地の水溜りからおたまじゃくしを取ってきて家で蛙にしたり、カマキリの卵を部屋の中で孵化させてえらく怒られたこともあります。そんな折、急に父親から塾に行くように言われ、いやいや通うようになりました。今では塾通いも当たり前ですが、当時は塾に行く友人もなく、なんでやねんと思いながら通っていました。

小学校5年のころでしたでしょうか、テレビでプロ野球をみていて、ケガをして手術をうけ、必死でがんばって復帰した選手がインタビューをうけているのをみました。人目をはばからずうれし泣きしているのをみて、自分はプロ野球選手にはなれないけど、人を助けて一緒にその喜びを分かち合えたらいいなあと思うようになりました。そして医師になることを真剣に考えるようになりました。

そうなると勉強をたくさんしないとだめだということに気づき、勉強にも身が入るようになりました。おかげである程度名の知れた中学・高校には進むことができましたが、高校の時に行き詰まり、大学受験はかなり苦労しました。そして大阪医大(高槻)に何とか入ることができ、医師になりたいという念願はかないました。

大学に入り、サッカー部に入部しました。それまでまともに運動というものをしてこなかった体は悲鳴をあげ、右膝を痛めてしまいました。大学病院の救急に運ばれ、靭帯損傷と診断。指示に従い治療を受けました。ところがその後ささいなことで痛みは再発。その都度診察を受けても靭帯だから、筋肉を鍛えるしかないといわれるだけ。がんばって鍛えました。でも痛みは繰り返し起こり、結局まともにサッカーできないまま卒業をむかえました。

そしてこの後、私が整形外科を、そして膝関節外科を学ぼうとするきっかけになったエピソードが続きます。続きは次回に。。。