2018.07.18

整形外科の世界に住む魔物シリーズ 「ヘルニア」

日々診療をしていますと、世間の思い込みというのはすごいな、と思う場面がいくつかあります。今回は椎間板ヘルニアという魔物の話をしてみたいと思います。

30代の男性。前医でMRIを撮ってヘルニアがあるといわれたといいます。他の整形外科で薬、注射、リハビリに通っているがよくならないとのことで来院されました。レントゲン検査を行ったところ、確かにヘルニアを示唆する所見を認めるものの、診察上は筋肉の慢性炎症。仕事はデスクワークで運動は全くしない。体重はここ数か月で増え気味だといいます。そこで私は、ヘルニアはあるけれども、それがいま、悪さをしている感じはなく、今の症状は運動不足による慢性の筋肉痛がメインです、と説明します。

すると「いや、先生。前の医院ではヘルニアが原因だといわれたんですよ。治療受けていれば治るだろうといわれていたのに、治らないから信じられなくなってこっちにきたんです。通勤で割と歩くし、週末は自転車に乗ったりもするから全く運動してないわけでもないし。筋肉痛といわれても自分としては納得ができない。」と言われます。

この患者さんの頭の中では、前医の「ヘルニア」という言葉だけが鮮烈に残り、それが諸悪の根源と思い込んでいるのです。それ以外の点では前医の治療を否定し、当院にきても私の説明を否定。ヘルニアを治さないと腰痛は取れないと考えている。患者さんの頭のなかに「ヘルニア」という魔物が住みついてしまっているのです。もちろんこれにはそのあたりの説明をちゃんとしていない前医の先生にも責任はあるのですが。。。

椎間板というのは、腰の椎体という骨と骨の間にある軟骨様の組織であり、背骨の動きを担い、クッションの役割も果たしています。これが加齢や外傷などにより傷んできてしまうと、中身がつぶれて周りにはみ出してきてしまう。このはみ出した状態を「ヘルニア」といいます。こうなると当然腰の痛みも出るのですが、これが腰の骨の並んでいる中を通っている脊髄、馬尾神経を押さえてしまうと神経に炎症が起こり、その神経の行っている下肢に痛みやしびれ、脱力が生じるといった、坐骨神経痛の症状もでてきます。こう書けば、やっぱりヘルニアは怖いなあ、となるわけです。

しかしここで大事なポイントがあるのです。それは「炎症」がおきているのかどうか、ということです。前にも書いた通り、歳を取れば多かれ少なかれたいていの人にはヘルニアはでてきます。おそらく4,50歳にもなれば7,8割くらいの人にはヘルニアができているものと思われます。でもみんな痛がっているかというとそうではない。ヘルニアの痛みを経験した人でも、手術せずに治っている人はいますよね。それはヘルニアがなくなったのではなく(まれになくなる場合もありますが)、ヘルニアの周りの「炎症」が治っているのです。ですからヘルニアがあるかないかをとやかくいってもそれは不毛なことで、大事なことは、ヘルニアがあってもそれが悪さをしているかどうかを見極めることなのです。悪さをしていなければ、ヘルニアなんてものは放っておいてもいいのです。

ではどういう症状ならばヘルニアが悪さをしている、と考えるのか。

1.腰のみならず、下肢にまで放散する痛み、しびれがある。

2.膝や足に力が入りにくい。膝折れでこけそうになる。よく段差やものに躓く。

3.尿や便通の調子が悪くなる。

こういった症状がでてくるならば、ヘルニアが悪さをしている可能性があります。ヘルニアが悪さをしている症状があって、神経を圧迫している度合いが強ければ、それは手術の適応となる場合もあります。単なる腰の痛み、お尻の痛みはヘルニア以外の原因でも多々起きる症状なのです。

ではヘルニアが悪さをしておらず、ヘルニアからくる腰痛も含めた慢性の腰痛に対して、どのような治療が効果的なのでしょうか。当面の痛みをとる手段としてはやはり、消炎鎮痛剤の服用、外用剤、牽引や低周波、温熱治療といった理学療法になりますが、一番効果があって再発予防になるのは運動です。腰の周りの筋肉を鍛える、そしてストレッチをすることで柔軟性を獲得することが最も効果的だといわれています。ただこれもやり方、運動量によってはかえって悪影響をもたらす場合もあり、個々の患者さんの症状、状況によって内容は変わってきます。そういうときに活躍してくれるのが、理学療法士、作業療法士といった、医師の指示の下で運動療法を行ってくれるスタッフです。当院にも頼れるスタッフがおりますので、どうすればいいのかわからないという方は相談していただければと思います。

2018.06.18

7月休診のお知らせ

7月9日月曜日は、院長出張のため、休診とさせていただきます。悪しからずご了承のほど、よろしくお願いいたします。

2018.06.18

五十知命

平成19年に開業してから今日で丸11年になりました。色々ありますが、無事に続けてこられたのも地域、患者さん、スタッフをはじめとした私を支えてくれるすべての皆さん、そして家族の理解があってのことと感謝しております。これからも頑張る所存です。

また今日は私事ですが、私の50歳の誕生日でもあります。孔子の論語を紐解きますと、「知命」の歳になります。五十にして天命を知る。この意味の解釈については様々な意見があります。五十で天が自分に命じ、与えたものが何であるかを悟る。今までの生き方で己の限界を悟り、あきらめること。どんなに人事を尽くしても、何かしらの理由で思うようにいかないことがある。それが天命である。しかしながらだからといって努力をやめるわけにはいかないということを悟ること。等々。

孔子の時代であれば50歳という年齢は老境の域に入っており、人生100年時代の現代とは比較できるものではありませんが、自分にとって「天命」とは何であるのか。思えば子供の頃にテレビでみた野球選手の復活劇をみて医師になることを志し、自分が怪我で苦しんだ経験から整形外科、膝関節外科の道を進み、そして患者さんが治っていく姿を見届けたいという思いから開業したこと。その時々の考え、思いは今から振り返れば自然の経過であって、それは「天命」であったのかなと思います。そして人生100年とすれば、折り返しとなるこれからの道をどう生きていくのか。まだまだ「悟る」というわけにはいかなさそうです。

五十年といえば、織田信長も好んだといわれる幸若舞(くせまい)の作品である「敦盛」の一節、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」も思い出されます。人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れに比べたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ、という意味ですが、信長の場合は「どうせ人生は五十年しかないのだから、死ぬ気になって思い切ってやってやろう」と言った、非常に勇ましい気持ちをこめたのではないかという意見もあります。私もまだ50年あるのだから、色々積極的にやってみよう、という気持ちで元気に折り返しの人生を歩んでいきたいものです。